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ネットは”呪いの言葉が匿名で飛び交う空間”で終わるのか? [マスコミ]


週刊現代2012年3月3日号
対談:中沢新一vs内田樹




あえて対談の本旨を飛ばして、
ネットについての気になる発言だけ取り上げます。
(発言の一部を意訳をしています)

「なぜ脱原発が日本人に根づかないかとついうと、
民意もそれを形成するメディアも日和見だから」(中沢)

「庶民の声に批評性を期待するのは無理」(内田)

「ネットは、呪いの言葉が匿名で飛び交う空間で、
僕自身は積極的に入っていこうとは思わない。」(中沢)

「僕は平気。テレビに出ないし、ネットに書かれた悪口も読まないから。」(内田)

「膨大な日和見細胞(意訳=確固とした意見を持たない庶民の)を
善玉(意訳=正しい批評性を確立した文化人、またその意見に賛同する庶民)
に変えるのは、あのメディア(意訳=インターネット)ではないか」(中沢)

「僕はその点は懐疑的だな。たしかにネットには破壊する力はある。
でも、新しいものを創造する力はそれほどない。
壊すほうが作るよりはるかに簡単だから。」(内田)
 

みなさん、どう思いますか?
ネットとリアルを連動させて、新しい創造の場を構築することは可能でしょうか。
そのためにできることはなんでしょうか。

4つの視点で考えてみます。
 

1.メディア世代論

新しいメディアに対して、こういう批判は必ず出てくるものだと思います。印刷物が出てきたとき、ラジオやテレビが出てきたとき、前のメディアで育った人の多くは、新しいメディアを嫌がりました。それは、ある意味、しかたのないことです。なぜならメディアは言語に近いからです。

若いうちに、それに親しんでしまえば感覚として使えるようになるけれども、ある程度、年をとってから、新しいメディアを感覚として取り入れるのは非常に難しいものがあります。

著名なおふたりの対談が、“団塊世代の戯言”と揶揄されかねない内容になっているのは残念です。進歩から逃げないで、もっともっと若い世代に知恵を授けてほしいと思います。新しいメディアから新しい言語が生まれます。文化と伝統の中に打ち込まれるテクノロジーのくさびが、新種の言語感覚を呼び覚ますのです。それを高度で洗練されものにし、伝統を刷新していくのが、創造的な文化というものです。


2.新しい技術が成熟するまでの時間

ネットの中が問題を多く含み世界だということは事実ですが、だからネットは破壊が得意で創造には向いていない、ということにはならないでしょう。鉄道や航空機などの新しい技術が成熟するには200年かかると安全学の畑村先生は言っています。人類はこれまで試行錯誤しながら技術やインフラの在り方を発展進化させてきました。

インターネットが一般に使われるようになってまだ10数年しか経っていませんが、大変急速に普及しており、今やネットなしの生活は考えられません。多くの人たちは、ネットにネガティブな側面があれば、それを回避したり、新しいやり方で克服していき、少しずつでも良くしていこうと思っています。

人々がこうあって欲しいというネットの姿が大きくなれば、自然と、そのようになってくるのではないでしょうか。そのためには、そのようなネットの姿を示すこと、そして、それに賛同する人を増やしていくことが必要です。


3.知識人の立ち位置

いわゆる知識人や文化人と呼ばれる知的エリートは、一般大衆(庶民、普通生活者)を見下す傾向があります。庶民の多くが日和見である、というのは多分あたっているでしょう。しかし日和見だから愚か、ということはありません。本当に庶民が愚かであったなら、民主主義という制度は機能しないことになります。

私たちは東日本大震災で政府も東電も機能しなかったことを知りました。しかし、被災地で協力し合って日本の危機を乗り切ったのは、現地にいた名もない庶民ひとりひとりが示した、高い倫理観と利他の精神であることも知ったのです。

高名な知識人は、もっともっとネットにも庶民にも入り込んで、得てきた知識や見てきたことを教えてほしいと思います。そして、未来に期待する発言をしてほしいと思うのです。


4.創造と破壊のプロセス

創造の前にはたいがい破壊があります。シュンペーターが提唱した「創造的破壊」が、世界を発展させ進化させていくダイナミクスになっていることは間違いありません。

問題は、ネット環境の創造性がどのように具体的に創り上げられていくかです。既に成功しつつある事例や仕組みや方法論をつなぐことがカギだと思います。たとえば、ウィキペディア、リナックス。あるいは、ゲームフィケーションで世界中の10万人が参加してAIDS薬のための分析を半年で成し遂げた例。もちろん、これらの事例の中にもたくさんの問題があると思います。しかしそこが着眼点かもしれません。ネガの事例の奥にはかならずポジにするヒントがあります。

ネットのある生活は、はじまったばかりです。ネットという広大な世界の中に、新しい創造の場を創ることは可能だと思います。可能性は、まだまだたくさんあります。その答えがわかっていれば苦労はないのですが、答えはあると思います。ネットは、それだけの可能性を持ったものだと思っています。
 

「男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、
非常に不幸を感じるものである。」 【アラン】 (フランスの哲学者、『幸福論』の著者)

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