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アメリカはどこに向かうのか [政治]

6月5日のNHK「クローズアップ現代」で、『“自由”か“平等”か 岐路に立つアメリカ』というタイトルの番組が放映されました。

アメリカは、真っ二つに分断されつつあることを実感させる内容でした。

「自由」とは、共和党が主張する小さな政府、減税、規制緩和による自由競争で経済を発展させて国全体が潤う、とする政策です。

一方の「平等」とは、民主党が推進する大きな政府、金持ちへの増税、国民皆保険などセーフティネットを充実させる政策です。

答は両者の中間にあるように思えます。
しかしそれはどちらの政党が政権を取っても、議会でおりあえて現実主義の政策決定ができたときです。

今のアメリカは世論が真っ二つに割れているようです。
それがオバマ47% VS. ロムニー45%という支持率に表れています。

問題は、格差があることそのものにあるとはかならずしも言えなくて、
むしろ中間層がより厳しい状態にずるずると後退して、安定した社会基盤が
失われつつあるところじゃないでしょうか。

アメリカの選択は、そのまま多少の時間差を置いて、
日本にも確実に影響を及ぼすことになると思います。



6月6日の読売新聞に、関連する興味深い記事があります。

 

読売新聞朝刊7面 【「支持政党なし」最高】


アメリカは2大政党制が定着しており、有権者は、基本的に共和党か民主党のいずれかの支持者だと思っていたのですが、この記事によると、「支持する政党なし」が38%に広がっており、過去75年にで最高の値になっているそうです。

同時に、イデオロギーなどを問う質問では、民主党員はよりリベラルに、共和党員はより保守的な回答をしているとのこと。

一例として、「政府は自立できない人を支援すべきだ」に同意した人は、
民主党で75%、共和党で40%で、35ポイント差になりました。
25年前の調査では17ポイント差だったので、計算上2倍に広がったことになります。
(ただし、データが新聞記事だけでは不足しており、この通りと解釈してよいかは微妙ですが)

こうして見ると、アメリカは、イデオロギー的により二分されてきているとも言えますが、
「保守」と「リベラル」と「どちらでもない政治不信」に三分されてきている、とも言えそうです。
 

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外交にとって大切なものは何でしょうか? [政治]

 
日経新聞朝刊2面
2012.04.23
「在外公館『選択と集中』進まず」
 
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玄葉外務大臣が、日本の在外公館の戦略的な配置に
意欲を見せている、という記事です。

現在の大使館数は134ですが、それを150まで増やし、
資源が豊富なアフリカなどとの関係を強化したい考えです。

アフリカには54の国がありますが、
日本の大使館があるのはその内の32ヵ国に留まります。
一方でアフリカの資源を重視している中国は、既に49の大使館があります。

新興国での日本の存在感を増やすためには、
先進国から人員の配置転換を進める必要がありますが、
計画通りには進んでいないようです。

この記事は、
日本の公館における領事担当者数が米国(約5人)や
フランス(約7人)に比べて著しく少ない1.7人であり、
業務に支障をきたす事例を紹介する一方で、
日本の在外公館は、豪華な建物や高額の人件費がかねてから
批判の対象となっており、特別手当や人員の削減が求められている、
と結んでいます。

まず、アフリカに54ヵ国あることにあらためて驚くとともに、
大使館を置いている率が約6割に留まることも驚きです。

日本人にとってアフリカは物理的にも心理的にも遠い大陸ですが、
政治的にも経済的にも将来に向けて戦略的な関係づくりに
今から取り組むべきだと思います。

そう考えるのは、アジアの先行事例があるからです。

アジアがほとんど世界の注目を集めなかった時代に、
日本は地道な援助活動を続けてきました。

参考として、毎日新聞の専門編集委員の西川さんの記事を
掲載します。

毎日新聞朝刊3面
2012.04.13
「アジア的関与の評価」
 
s-毎日2012_04_13(1).jpg

こちらは、シリアと比較してミャンマーが開放体制に
移行していることを評価する記事です。

その理由として、経済的果実を手にしつつあるのに対して、
中東は不安定でトルコなど一部を除いて経済浮揚ができて
いないことに原因がある、としています。

そして、アジアの今日の経済基盤を作ったのは、ひとつには
日本の「開発主義」のアプローチがあった、という認識を示しています。

政府開発援助(ODA)と民間資金を使って、日本の技術と経済力を
現地とむすびつけ、アジア全体の経済浮揚を実現した面は、
確かにあると思います。

日本の手法は、欧米からしばしば、「人権、民主主義の軽視」と批判
されてきたが、経済発展は権威主義的体制の国にも政治改革を促し
民主主義へと脱皮をさせた、と西川さん。

これはまったくの推測に過ぎませんが、
中国は、こうした日本の対外援助の手法を研究し、自国の対外政策に
応用しようとしているのではないかと思います。

今の日本は、無駄なお金を政府も官僚も使っていて国民が犠牲になっている
という論調が主流になっています。
そういう面は多々あるでしょう。しかし、問題をたたくだけでは日本の将来を
構築することはできません。

特に外交や経済援助そして文化交流は、時間をかけて戦略的に構築して
いくことで長期的な果実を手にするものです。

東日本大震災で、あきらかに経済的余裕に乏しい国からも
支援がなされた理由として、日本の援助に対する感謝と御礼の気持ちが
あったことを、私たちは報道などを通じて知りました。

「人の援助」と「技術の援助」と「お金の援助」。
経営でいう3つの資源だる「ヒト、モノ、カネ」の重要性は、
外交でも同じではないかと思います。

外交において場当たりでない、本当の意味での長期戦略を構築し
実行できる日本であってほしいと思います。

外交は、科学技術の開発と合わせて、予算を削減すべきではなく、
むしろ「選択と集中」で「ヒト、モノ、カネ」を増やすべき分野だと考えます。
 

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「女のひとり勝ち」、こわいですか? [社会]

新潮45 20122年4月号
湯川玲子 「男」から逃げ出す男たち

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今月号の新潮45の特集は「女のひとり勝ち」。
その中の湯川さんのエッセーで、
ある人物をこんな風に描写しています。

  1. したいことしかしない
  2. 目的のためには手段を選ばない
  3. 気まぐれ
  4. 感情的
  5. 子供っぱい
  6. 勘に頼る
  7. スピリチュアル好き

これ、誰のことかわかりますか?
今や世界中で、稀代の経営者として称賛されている
スティーブ・ジョブスの特徴を
かつての部下たちがぼやいた内容なんです。

一読して、こいつは、
「スティーブ・ジョブス7ヶ条」だな!
と納得しました。

ジョブスは、TVドラマに登場する、わがままで未熟な女社長そのもの。

「ラクでトクで将来性もあって、本音で楽しい。
世界は女化するのを止められないようなのだ。」
と、湯川さんは言います。
 

男が支配してきた世界に、確かに何か大きな変化が訪れているように感じます。
男の論理が思うように通用しない世界を、「こわい!」と思うか、「面白い!」と感じるか。

私は「面白い!」に一票を入れたいですね。

*このブログは、リグミ・ストーリーボードで「協働編集」され、新しい記事としてリグミ・ポータルにUPされています。 

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男女共同参画社会ってどうですか?:LGMI

 

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原発は日本の今と未来を占うリトマス試験紙 [福島第一原発事故]

原発思想地図
武田徹(監修)、新潮45 編集部(編)
「新潮45 2012年3月号」

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「新潮45」2012年3月号に掲載されている記事です。
ジャーナリスト・評論家の武田徹さんが監修、新潮45の編集部が編集した内容とあります。

リグミは、さまざまな意見や立場を俯瞰する「サードビュー」を提供したいと考えています。
この原発思想地図は、「サードビュー」をマップ化したわかりやすい例でしょう。
(ちなみにリグミでは、さまざまな立場をマップ化することを「サードビュー」の第2段階ととらえています)

原発思想地図は、
  • 左側が「原発反対」右側が「原発賛成」
  • 上側が「テクノロジー志向(技術解決主義)」下側が「エコロジー志向(自然回帰主義)」

という分類です。

福島第一原発の事故以後、原発をどうするか、
国民的合意は未だ形成されていません。
しかし、個々人は、かなりはっきりした立ち位置を取るようになりました。

武田さんは、原発が「思想のリトマス試験紙の如き働きを担いつつある」と言います。

ここでは、政治家、学者、知識人、経済人、ジャーナリスト、タレントなどの有名人が
それぞれ、どんな立ち位置を取っているかを一望できます。

ここまで多士済々が多様な原発論議を展開するに至った理由。
それはもちろん今回の原発事故の深刻さが原因です。
しかし武田さんは、それに加えて、
ソーシャルメディアが本格的に普及したことが大きいと言います。
 

「発言はソーシャルメディアの中で反射し、増幅される。
マクルーハンはメディアを『身体を拡張する装置』と考えたが、
まさに原発を論じて示される発言者の

  • 人品の気高さも俗っぽさも、
  • 勇猛果敢も臆病も、
  • 他者への寛容も不寛容も、

メディアを経由して拡張され、大きな振幅を示して伝えられているのだ」(P79)
 



分類しマップ化することで見えること

この原発思想地図を見てわかるように、
右下の象限(原発推進でエコロジー志向)に分類される人は誰もいません。
それは、原発が本来高度のテクノロジー志向の産物だからです。

では、左上の象限(反原発でテクノロジー志向)の人は、
テクノロジーがもっと進歩し原発の安全性が飛躍的に向上した
ら原発推進に転じるのでしょうか。

原発は、その他の技術分野と同じなのか違うのか。
一旦事故が起きたら取り返しのつかないことになる、という意味で、
同列にはならないでしょう。原発がどれぐらい特殊で特別な分野なのか、
徹底して明らかにする必要があると思います。

どの立場にも共通するテーマ

そして、原発推進派も原発反対派も、等しく解決しなければならない
共通テーマがあります。それは核燃料の最終処理問題です。
このテーマから、誰も逃げることができません。

既に稼働している原発があり、相当量の高濃度核廃棄物があるという現実。
こうした廃棄物が生物に無害な状態になるまで途方もない年月がかかるという現実。

どんな議論も、私たちの未来、子供たちの未来、遠い子孫たちの未来に、
何をもたらすことになるのか、忘れずにいたいと思います。

「主義」を明確にする

そういう意味で、原発は、武田さんの示唆するとおり、
「思想のリトマス試験紙」になるのでしょう。

専門家や知識人でない普通の人は、むつかしいことはわからないから
判断できない、と思うかもしれません。
でも、ほとんどの論者がわからないだらけの中で論じているのだと思います。

それでも私たち一人一人は、
原発をどうすべきかについて、立ち位置を明確にしていく必要があると思います。
なぜならこの問題こそ、
民意=世論をしっかり形成して政治家を動かす必要があるからです。
 



リグミからの提案

原発推進か原発反対かの立ち位置を明確にするまえに、
今回のマップにある
「テクノロジー志向(技術解決主義)」「エコロジー志向(自然回帰主義)」
のどちらが自分の志向性や「主義」に近いのか、自己探求してみませんか?

遠回りなようでも、こういう形で自分の中にある「思い」をつむぎだしてみることで、
ぼんやりしていた景色がくっきりとした輪郭で見えてくるかもしれません。

そしてストーリーボード上で、またリグミ・SNSの日記やコミュニティで
意見交換したいと思います。


********************************
今、リグミのストーリーボードの中では、以下のような議論がなされています:
********************************

入口での疑問提起:
 

「このマップの対極軸は何を意味しているのだろう?」

  • 「テクノロジー志向(技術解決主義)」の逆が「エコロジー志向(自然回帰主義)」というのは、違和感がある。例えば、太陽光、風力、地熱など自然を利用した新しい発電技術を使って電力を作って代替していこうというのは「テクノロジー志向」になるのか。
  • 「エコロジー志向」は、電気の使用そのものを減らし、なくして、昔のような自然と共存する生活に戻るということだとしたら、自分は今の生活水準を維持したいから、「テクノロジー志向(技術解決主義)」ということになる。
  • 太陽光や地熱の環境エネルギーで現在の生活を保持できるように、技術の進歩が進むまでは、原発も併存すべきだ。

いろいろな観点や立場を出し合う:
 

「原発のメリットを強調する立場」

  • 原発がもたらした功績は大きいわけで、いくつもの疲弊した地方都市が生き延びている。

「原発のデメリットを強調する立場」

  • 原発の最大の問題は、高レベル放射性廃棄物の処理の問題だ。100年ぐらいの経済的メリットのために、10万年の未来までリスクと管理の負担を残すのはあまりにバランスを欠いていると思う。

「生活水準を維持する立場」

  • 安定的な生活水準を守りつつ、計画的にステップを踏んで、脱原発へと向かうべきだ。
  • 電気なしでは生きていけない生活をしているので、電気はあればあるほうがいいと思う。
「テクノロジー志向(技術解決主義)に賛同する立場」
  • 日本は資源がないんだから、技術志向で問題解決することが重要だ。
  • 心情的にはエコロジー志向だが、現実の選択は明確にテクノロジー志向であることに気づいた。但し、地球環境は有限であるので、今の新自由主義的な思想でグローバル経済が無限に成長しつづけようとするのは、あきらかに無理がある。再生可能エネルギーで持続的な社会をめざすべきなので、反原発―テクノロジー志向の立場を取る。

「エコロジー志向(自然回帰主義)に賛同する立場」

  • 計画停電の時に、多少暗かったり、電車の本数がまびかれても、意外と平気だった。電気は無駄に使っているのも多い。電気そのものを減らすという自然回帰の姿勢を持ちたい。

「テクノロジー対エコロジーの中間的な立場」

  • 今、ほとんどの原発が停止している状態でも、なんとかなっている状態をみると、原発なしでもなんとかなるのではないかと思う。

「そもそもエコロジー志向が可能なのか、考察する立場」

  • コロジー志向を追求すると、反原発なだけでなく、「交換」の経済から「贈与」の経済へと進むのではないか。
  • 農耕が始まる以前の狩猟採集社会の方が、「栄養状態や体格が良く、より健康で平均寿命も長く、かつ精神的にも健全で、労働時間はずっと短くて余暇生活はより長く充実していた」というのが人類学の常識といわれる。ただし、狩猟採集経済が日本で成立するためには、人口が3000分の1まで減少する必要があるそうだ。
(日経ビジネスオンラインの記事を参照したコメント)
  

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人々のために高貴な責務を果たしてこそ、エリートは輝く [福島第一原発事故]



日本のエリートの何が問題なのか
大震災そして原発問題が起きて見えたこと。
それは日本のエリートシステムが機能していない、ということでした。

茂木健一郎さんは、2月25日のツイッターの中で、
 
「エリートとは本来、フロンティアでリスクをとり、ノブレス・オブリージュ*
を果たす人であるはずなのに、日本では、エリートとは、リスクをとらない人、と
らなくて済む人のことである」 
 
という問題指摘をしています。
 
茂木健一郎 連続ツイート第515回 2012.02.25
「日本のエリートは、リスクをとらないんだから本当はエリートでもなんでもない」
http://togetter.com/li/263240

なぜ日本のエリートシステムが機能していないのでしょうか。
ノブレス・オブリージュとは、「高貴な者は義務を負う」、
「位の高い者は徳も高くなければならない」といった意味ですが、

日本ではこうした感覚が乏しい理由はどこにあるのでしょうか。

それは、日本のエリートが本当の問題に、世界の真実に、
真正面から向き合わないからです。
向き合うべき立場であり、権力も資金もあり、さらには能力もあるのに。

「東大話法」という罠
こうした日本型エリートの特徴を、
東大東洋文化研究所教授の安富歩さんは、
「東大話法」と呼んでいます。

東京新聞2012.02.25朝刊28-29面
原子力ムラでまん延 「東大話法」


「東大話法」の例:

  • 規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
  • 規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
  • 規則3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。

参照:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E8%A9%B1%E6%B3%95
 

「東大話法」の規則1が、日本のエリートの問題を端的に表しています。
「信念」ではなく「立場」に合わせる。ここに最大の問題があります。
立場を優先するとき、本当の問題を見据えて解決しようという信念は曇ります。
優先順位を少しずつ変節させるうちに、真実が覆い隠され、
公のために責任を果たそうとする高貴な動機も薄らぎます。

日本のエリートは、既定のレールに乗ってリスクを取らないという批判は、
昔からありました。こうした批判が今でも変わらず出てくるのは、なんだかんだ
言っても、ローリスク・ハイリターンの日本型エリートモデルが通用しつづけ、こ
のレールに乗りたい、という優秀な人たちが後を絶たないからでしょう。

しかし、茂木さんは、リスクを取らずエスカレーターに乗って安泰な人生を送ろうとする
日本型エリートの在り方は、もう成り立たないのだ、と檄を飛ばしています。

「日本の子どもたちは、あるいはお父さんお母さんたちは、よくよく考えてほしい。
ペーパーテストの点数がよければリスクのない人生を送れるという日本型の
「幸せの方程式」はもはや持続不可能。何が起こるかわからない世の中で、
偶有性の海に飛び込むしかない時代なんだよ。」

そして、安富さんは言います。
 

「官僚にも学者にも、あるいはメディアにも自分の言葉を持つ人たちが
わずかにいる。そんな一人一人の存在でかろうじて社会がもっている。
もし人間社会がひきょう者の集団になったら、社会秩序は維持できない。」
 

新しい日本型エリートの可能性~「衆知主義」の時代
ではどうするか。
本来のエリートらしいエリートを排出する有効な方法は
いろいろと考えられると思います。
しかしここでは視点を変えて、エリートのやるべきことを
自分たちがさっさとやってしまったらどうなるか、想像してみたいと思います。

普通の人々が、「自分の言葉」を持ち、責任ある発言をし、身をもって行動する。
エリートができないことを、自分たちでどんどんやってしまう。
もし、普通の人々がそんな風に考え、行動しはじめたら、どうなるでしょうか。
間違いなく、日本型エリートは廃業に追い込まれます。
それが「衆知主義」の時代ではないか、とリグミでは考えています。

衆知、すなわち多くの人々の知恵やアイデアを集めて社会を変えていく時代に
着実に入りつつあります。エリートに任せきりにできない、という気運が震災後
大きくなっています。

しかし衆知主義は、エリートを否定すべきではありません。
むしろエリートは重用するものです。なぜなら、社会はエリートの能力、専門性、
判断と実行を必要としているからです。衆知主義の時代の大きな「違い」は、
エリートと一般の人が「対等」だということです。

為政者やエリートに盲目的に追従するのでなく、リーダーに説明責任を求め、
協働で社会的なテーマに取り組む新しいフォロワー像。
私たちは、そういう自分たちの在り方、姿勢を、少しずつ実践していきたいと思います。

エリートを批判するのは簡単です。しかし、本当の問題に、世界の真実に、
真正面から向き合うのは、エリートだけの義務ではありません。
批判し糾弾するエネルギーの一部を、前向きで建設的な方向に振り向け、
エリートに人々のために高貴な義務を果たしもらうように積極的に促し、励まし、協働する。
そんな衆知主義の実践ができれば、何かが変わります。

エリートに輝いてもらう社会を創ることこそ、大地震、大津波、そして原発事故の時代を
生きる私たちの知恵なのではないでしょうか。

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ネットは”呪いの言葉が匿名で飛び交う空間”で終わるのか? [マスコミ]


週刊現代2012年3月3日号
対談:中沢新一vs内田樹




あえて対談の本旨を飛ばして、
ネットについての気になる発言だけ取り上げます。
(発言の一部を意訳をしています)

「なぜ脱原発が日本人に根づかないかとついうと、
民意もそれを形成するメディアも日和見だから」(中沢)

「庶民の声に批評性を期待するのは無理」(内田)

「ネットは、呪いの言葉が匿名で飛び交う空間で、
僕自身は積極的に入っていこうとは思わない。」(中沢)

「僕は平気。テレビに出ないし、ネットに書かれた悪口も読まないから。」(内田)

「膨大な日和見細胞(意訳=確固とした意見を持たない庶民の)を
善玉(意訳=正しい批評性を確立した文化人、またその意見に賛同する庶民)
に変えるのは、あのメディア(意訳=インターネット)ではないか」(中沢)

「僕はその点は懐疑的だな。たしかにネットには破壊する力はある。
でも、新しいものを創造する力はそれほどない。
壊すほうが作るよりはるかに簡単だから。」(内田)
 

みなさん、どう思いますか?
ネットとリアルを連動させて、新しい創造の場を構築することは可能でしょうか。
そのためにできることはなんでしょうか。

4つの視点で考えてみます。
 

1.メディア世代論

新しいメディアに対して、こういう批判は必ず出てくるものだと思います。印刷物が出てきたとき、ラジオやテレビが出てきたとき、前のメディアで育った人の多くは、新しいメディアを嫌がりました。それは、ある意味、しかたのないことです。なぜならメディアは言語に近いからです。

若いうちに、それに親しんでしまえば感覚として使えるようになるけれども、ある程度、年をとってから、新しいメディアを感覚として取り入れるのは非常に難しいものがあります。

著名なおふたりの対談が、“団塊世代の戯言”と揶揄されかねない内容になっているのは残念です。進歩から逃げないで、もっともっと若い世代に知恵を授けてほしいと思います。新しいメディアから新しい言語が生まれます。文化と伝統の中に打ち込まれるテクノロジーのくさびが、新種の言語感覚を呼び覚ますのです。それを高度で洗練されものにし、伝統を刷新していくのが、創造的な文化というものです。


2.新しい技術が成熟するまでの時間

ネットの中が問題を多く含み世界だということは事実ですが、だからネットは破壊が得意で創造には向いていない、ということにはならないでしょう。鉄道や航空機などの新しい技術が成熟するには200年かかると安全学の畑村先生は言っています。人類はこれまで試行錯誤しながら技術やインフラの在り方を発展進化させてきました。

インターネットが一般に使われるようになってまだ10数年しか経っていませんが、大変急速に普及しており、今やネットなしの生活は考えられません。多くの人たちは、ネットにネガティブな側面があれば、それを回避したり、新しいやり方で克服していき、少しずつでも良くしていこうと思っています。

人々がこうあって欲しいというネットの姿が大きくなれば、自然と、そのようになってくるのではないでしょうか。そのためには、そのようなネットの姿を示すこと、そして、それに賛同する人を増やしていくことが必要です。


3.知識人の立ち位置

いわゆる知識人や文化人と呼ばれる知的エリートは、一般大衆(庶民、普通生活者)を見下す傾向があります。庶民の多くが日和見である、というのは多分あたっているでしょう。しかし日和見だから愚か、ということはありません。本当に庶民が愚かであったなら、民主主義という制度は機能しないことになります。

私たちは東日本大震災で政府も東電も機能しなかったことを知りました。しかし、被災地で協力し合って日本の危機を乗り切ったのは、現地にいた名もない庶民ひとりひとりが示した、高い倫理観と利他の精神であることも知ったのです。

高名な知識人は、もっともっとネットにも庶民にも入り込んで、得てきた知識や見てきたことを教えてほしいと思います。そして、未来に期待する発言をしてほしいと思うのです。


4.創造と破壊のプロセス

創造の前にはたいがい破壊があります。シュンペーターが提唱した「創造的破壊」が、世界を発展させ進化させていくダイナミクスになっていることは間違いありません。

問題は、ネット環境の創造性がどのように具体的に創り上げられていくかです。既に成功しつつある事例や仕組みや方法論をつなぐことがカギだと思います。たとえば、ウィキペディア、リナックス。あるいは、ゲームフィケーションで世界中の10万人が参加してAIDS薬のための分析を半年で成し遂げた例。もちろん、これらの事例の中にもたくさんの問題があると思います。しかしそこが着眼点かもしれません。ネガの事例の奥にはかならずポジにするヒントがあります。

ネットのある生活は、はじまったばかりです。ネットという広大な世界の中に、新しい創造の場を創ることは可能だと思います。可能性は、まだまだたくさんあります。その答えがわかっていれば苦労はないのですが、答えはあると思います。ネットは、それだけの可能性を持ったものだと思っています。
 

「男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、
非常に不幸を感じるものである。」 【アラン】 (フランスの哲学者、『幸福論』の著者)

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日本の未来を託せる政治家を育てよう [政治]

「日本の未来を託せる政治家を育てよう」

日経新聞2012.02.12朝刊2面
「次」の話をする前に

最近の政治は課題に向き合っているようで、客観的には
筋の通らない話が多い、という記事。
  • 原発はどうするのか。やめるのか進めるのか。浜岡原発以外は継続を容認したが、全国に54基ある原発は、定期検査に入ると再稼働のめどが立たない。原発の輸出を早々に決めたが国内の方針が明確にならない
  • 衆議院の制度改革はどうするのか。一票の格差は是正するのか、しないのか。昨年、最高裁は「最大2.30倍の格差を違憲状態」との判決をくだしたが、見直しは進まない
  • 消費増税に対して議員定数の削減や選挙制度の抜本改革が論じられるが、何も決まらない
  • 社会保障と税の一体改革は、制度の持続性の話と将来性の話が混戦
  • 民主党は、短期と中長期に課題を仕分けできず、自民党は長期政権で懸案を先送りしてきた反省はなく、国会で小じゅうとの嫁いびりのような質問をつづける


最後に、福田和也さんの著作『なぜ日本人はかくも幼稚になったか』を引用。
 

「幼稚とは頭が悪いとか、知識がないとかいうことではない。
肝心なことに目をつぶっているということだ。」





この記事を読んで:

選択肢1: ひとりの英雄が日本を救う

日本人の多くは、いろいろとたいへんなことがあっても、
世の中は、そして日本は、どうにかなるって思っていたのではないでしょうか。
昨年の震災までは。

政治も、とりあえず誰かがなんとかしてくれるだろう、と多くの人々が思っていました。
しかし、震災と原発事故という国そのものの存亡にかかわる事件が起きたときに
初めて、政治の体たらくに驚き、日本の置かれた現実に愕然とし、怒りを覚えました。

社会が混乱し、政治が混迷すると、英雄待望論が浮上します。
不安や恐れを解消し、現状に対する鬱屈した思いや怒りを
晴らしてくれる人の登場を望みます。

最近、田中角栄が今首相だったら、大震災から一年近くたって復興庁ができる
といったのんびりした対応はしなかっただろう、トップダウンでどんどん
大胆な指示を出して復旧復興と国と地方の再生を進めたに違いない、
という話をする人がいます。
コンピューター付ブルドーザーと呼ばれた構想力と実行力で
日本列島改造論を推進した角栄さんなら、きっと日本を良くしてくれるだろう、と。

選択肢2: みんなで知恵を出し合って日本を変える

ただ、今の政治家がだめだ、ということで済ませることはできない気がします。
少なくとも、「投票しない」ということを含めて、今の政治家達を選んだのは、
我々なのですから。

責任と権限があいまいなのが、日本の文化社会の一大特徴だといわれます。
集団主義のため、何かを決めるのに時間がかかる。
そのかわり、決まれば一致団結して成果を出していく。
しかし、うまくいかなかったとき、誰も責任を取らないし、原因追及もしないから
再発防止の学習効果があがらない。みそぎをし、忘れようとする。

日本は制度としての民主主義を長くやってきている国ですが、
本当の意味で「民主=国民が主体」であったことはなかったと思います。
日本人の多くは、大震災を経験して、「これじゃいけない」と感じましたが、
同時に、あまりにも政治を、社会を、世の中を知らない自分に気づかされもしました。
そして意図的に知らないようにしむけられていたことに、はじめて気づかされもしました。

では、私たちはどうしたらいいのでしょうか。
真実をあばき、世の中を大きく変えてくれるカリスマの登場を待望し、喝采を送るのでしょうか。
しかし、英雄と独裁は紙一重です。陶酔は盲目につながります。
現代日本の混迷をひもとく答はどこにあるのでしょうか。
ヒントは、「衆知主義」にあります。

衆知の意味は「多くの人々の知恵」です。
今は、普通の人々があらゆる情報にアクセスできる時代です。
意見交換し、議論し、より良いアイデアや知恵を発掘できる時代なのです。

「衆知主義」とは、
普通の人々が、「肝心なことに目覚めている」
社会のあり方です。
  • 私達ひとりひとりが学び、主体的に考え、意見交換し、つながっていく
  • 政治家をただ批判するのでなく、誰がよりよい考えで行動しているかをみきわめ、そういう政治家を尊重し、支持する
  • 噂や流言飛語にまどわされず、専門家の意見に耳を傾け事実と憶測をわけて判断する
  • 気分でYES,NOを言うのでなく、責任ある一票を投じるつもりで、世論を形成する。ちょうど、裁判員制度の裁判員になったら判決に責任を負うように

こうしたことが本当にできれば、
普通の人々の間から、自然に政策提言も出てくるでしょう。
それはまじめによく考えられた、
前向きで未来の日本を創造する内容となるに違いありません。

選択肢3: 政治家を育てる国民になる

あとは政治家の決断です。
真のリーダーは
「衆知を集めてひとりで決める」
ものです。
これがリーダーシップの原則です。

しかし、リーダーシップには、実はもうひとつ、
普段あまり意識しない原則があります。
それは
「リーダーはフォロワーが現れることでリーダーとなる」
という真実です。

党利党略や政局を乗り越えるためでなく、
国家百年の計を立てること。
それは結局、国民がやることです。
政治家を使うのが国民の義務です。

健全なリーダーシップは、
賢明なフォロワーシップに支えられて
はじめて発揮されるのです。

選択肢4:批判ばかりしていないで自ら火中の栗を拾う

ところで、ここまで書いてきて、マスコミ的な言説が
気になってきました。

政治について、リーダーについて、批評的に語るなら、
既存のマスコミが套句的に繰り返している政治批判から
離れてみないと、話は始まらないのかもしれません。

可能なら、自ら政治の世界を覗いてみてはどうか。
確かに世の中には、正しいことをしたくて、
そのためには今を捨て手を汚しながら
地位を確立しようとする政治家もはいます。

「正しいことをしたければ偉くなれ」
と『踊る大捜査線』の和久刑事は言っていました。
(いかりや長介がいい味出してましたね)

人の本質を見抜く目を養い、
現場の集合知に光を当て、
世界のメディアスタンダードを作り上げたいです。

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火星は水の星だった 30億年以上前の大洋の地図 [サイエンス]

火星は水の星だった 30億年以上前の大洋の地図発表

現在の火星は寒いので、水は氷の形で存在しているそうです。
今回の調査では、北半球に多くの氷が含まれることが考えられるという発見も。
リンク先では、推定される大昔の火星の図も見られます。


朝日新聞デジタル:火星は水の星だった 30億年以上前の大洋の地図発表 - サイエンス

火星に海があったなんて。
ひょっとしたら、生物も、そして進化した生物だって、といろいろと想像してしまいますね。

火星移住計画もありますし、移住する頃には、もう生きてないんだろうなって思いますけど、すごくロマンを感じます。

でも、逆を言うと、地球だって数十億年後には火星のようになってしまう可能性だってあるということなんですよね。自然を大切にしたいって思いました。


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悪の組織に一票入れたい!「正義」とは何か? [経済]

「悪の組織に一票入れたい!」


正義の味方と悪の組織の違い
 
ネット上では有名なコンテンツですが、シェアしたいと思います。
さてどっちが目指すべき生き方でしょうか。

悪の組織の特徴
1.大きな夢、野望を抱いている
2.目標達成のため、研究開発を怠らない
3.日々努力を重ね、夢に向かって手を尽している
4 失敗してもへこたれない
5.組織で行動する
6.よく笑う

正義の味方の特徴
1.自分自身の具体的な目標をもたない
2.相手の夢を阻止するのが生きがい
3.単独~小人数で行動
4.常になにかが起こってから行動
5.受け身の姿勢
6.いつも怒っている

 

 
「悪の組織」のモチベーションの高そうな雰囲気にうっとりし、
思わず「一票入れたい!」という気持ちになりませんか。
その理由ってなんでしょう?

それはたぶん、
「悪」から見ると「善」がどう見えるかという視点で書かれているから
ではないでしょうか。うーむ、面白い~

「善」とは、その社会で支配的な価値観や文化や社会の状態、
「悪」とは、そうした「善」に反旗をひるがえす新興勢力ととらえるとどうでしょう。
マイノリティー(少数派)がマジョリティー(多数派)を見る視点ともいえます。

ここでは、「正義の味方」は、「善」=「現状」を維持しようとする勢力です。
今の体制を維持したいのですが、どうもうまくいかなくなっているので、機嫌はわるい。
いつも怒っているのは、「悪」(つまり新しい勢力)が台頭してきているのを
知っているからです。
でも自分には、ビジョンはないし、どうしていいかという戦略もないので受け身だし、
連帯する目標も失われているので、「悪」に対抗しようとしても、
単独や少人数の散発的な行動にとどまって、ちっとも効果的でなくなってしまっている・・・

こうみていくと、
シュンペーターの唱えた「創造的破壊」に通じる感じの話になります。
このオーストリアの経済学者は、市場経済の均衡状態は停滞を意味すると考えました。
絶えずイノベーションを繰り返すことで、はじめて経済は発展していくことができる。
その原動力となるのが「創造的破壊」です。
今あるもの、社会の調和を保っているものを、あえて破壊する。
これが革新的なもの、つまりイノベーションを生み出し、新しい世界のあり方を創造する、
というわけです。
いかがですか?いかにも「悪の組織」っぽい発想じゃないでしょうか。

少し当てはまらない部分もありますが、
「正義」を昨今の日本企業、「悪」をたとえばアップルに
置換えをしても成立しそうです。
「創造的破壊」を繰り返し、世の中を大きく変えていく企業は、
「悪の組織」の雰囲気を漂わせている気がします。

既成のものを一旦破壊して新しいものを創造することで
経済も社会も進化するという考え方。嫌いじゃないです。

でも、疑問は残ります・・・
「正義」とは何なのですかー?
 

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鴻上尚史氏の「ネットの二面性論」について考えた [マスコミ]


「軸があれば、リアルもバーチャルもひとつの世界」

日経新聞 2012.01.11 朝刊 5面
「ネット 二面性知って  劇作家・演出家 鴻上尚史氏」

昔も今も、若者1人ひとりのエネルギーは変わらないが、
今の時代は、ネットにエネルギーを取られている、と鴻上さんはいいます。

今は議論を経ずに、抱えているものをネットで簡単に外に出せて、
そこに共感のコメントもついてくるので、説明責任が鍛えられない。

海外でもネットがあるので、完全にひとりになる体験ができない。

ネットには作品や演技の感想があり、劇団員の自己肯定感が得られやすいが、
その分、野望が育ちにくい。よほど自分を律していないと、「まあ今のままでいいか」となる。

同時に、自分たちレベルの劇団や劇団員の若者は腐るほどいることもネットではわかる。
これがネット二面性。自分を肯定してくれ、同時に否定される。
 
だから、
ネットとの距離をうまく置き、自分の頭で判断し、自分の意志で行動し、
自分というものをしっかり形成していこう、
と鴻上さんは若い劇団員たちに呼びかけているそうです。
 
写真 (21).JPG


この記事を読んで:

テレビを朝から晩までつけっぱなしの人、結構いると思います。
ラジオをずっと聞きながら受験勉強した人も。
あるいは、活字中毒というか、本なしには生きられない人。
要するに、現代人は、情報の海にどっぷりとつかっていたいのでは。
それとネットはどう違うんでしょう?
  • 双方向性?
  • リアルタイム性?
  • あらゆる人と時空を超えてダイレクトにつながれる汎用性?

どんなテクノロジーも二面性があります。
人間は新しいテクノロジーを体験し、その光と影を体感的に理解していき、
ものにしてきました。


ただ、ネットは、これまでのテクノロジーとは異質な側面があるように思います。
これまでのテクノロジーはリアルの世界の中に収まっていました。
しかし、ネットワークは、空間感覚というか、あるいは感じ取る世界の在り方が、
バーチャルであるにもかかわらず、ある種のリアルさを強く持っています。
 
普通、リアルとバーチャルを別のものととらえていますが、
ひょっとすると若い世代は、それらが混ざり合ったところにリアルがあると
感じているのかもしれません。
それをどう扱っていくかというのは、実は、非常に大変なことになりそうです。
これから、いろいろな問題が起こる可能性・・・
反面、非常に面白いことが世界中で展開する可能性・・・

そのどちらが起きるのか?


新しいテクノロジーや環境の二面性にどう対処するか、
それは結局、「軸」の問題なんだと思います。
絶対の基準ともいうべき「軸」。
ぶれない「軸」をもてるかどうか。
それがあれば、あらゆるテクノロジーを活用し、楽しむことができます。
そして成長し、進化していくことができます。
ネットの二面性に対する答えは、結構簡単で単純なことではないか、そう感じます。


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