原発は日本の今と未来を占うリトマス試験紙 [福島第一原発事故]
武田徹(監修)、新潮45 編集部(編)
「新潮45 2012年3月号」
「新潮45」2012年3月号に掲載されている記事です。
ジャーナリスト・評論家の武田徹さんが監修、新潮45の編集部が編集した内容とあります。
リグミは、さまざまな意見や立場を俯瞰する「サードビュー」を提供したいと考えています。
この原発思想地図は、「サードビュー」をマップ化したわかりやすい例でしょう。
(ちなみにリグミでは、さまざまな立場をマップ化することを「サードビュー」の第2段階ととらえています)
原発思想地図は、
- 左側が「原発反対」⇔右側が「原発賛成」
- 上側が「テクノロジー志向(技術解決主義)」⇔下側が「エコロジー志向(自然回帰主義)」
という分類です。
福島第一原発の事故以後、原発をどうするか、
国民的合意は未だ形成されていません。
しかし、個々人は、かなりはっきりした立ち位置を取るようになりました。
武田さんは、原発が「思想のリトマス試験紙の如き働きを担いつつある」と言います。
ここでは、政治家、学者、知識人、経済人、ジャーナリスト、タレントなどの有名人が
それぞれ、どんな立ち位置を取っているかを一望できます。
ここまで多士済々が多様な原発論議を展開するに至った理由。
それはもちろん今回の原発事故の深刻さが原因です。
しかし武田さんは、それに加えて、
ソーシャルメディアが本格的に普及したことが大きいと言います。
「発言はソーシャルメディアの中で反射し、増幅される。
マクルーハンはメディアを『身体を拡張する装置』と考えたが、
まさに原発を論じて示される発言者の
- 人品の気高さも俗っぽさも、
- 勇猛果敢も臆病も、
- 他者への寛容も不寛容も、
メディアを経由して拡張され、大きな振幅を示して伝えられているのだ」(P79)
分類しマップ化することで見えること
この原発思想地図を見てわかるように、
右下の象限(原発推進でエコロジー志向)に分類される人は誰もいません。
それは、原発が本来高度のテクノロジー志向の産物だからです。
では、左上の象限(反原発でテクノロジー志向)の人は、
テクノロジーがもっと進歩し原発の安全性が飛躍的に向上した
ら原発推進に転じるのでしょうか。
原発は、その他の技術分野と同じなのか違うのか。
一旦事故が起きたら取り返しのつかないことになる、という意味で、
同列にはならないでしょう。原発がどれぐらい特殊で特別な分野なのか、
徹底して明らかにする必要があると思います。
どの立場にも共通するテーマ
そして、原発推進派も原発反対派も、等しく解決しなければならない
共通テーマがあります。それは核燃料の最終処理問題です。
このテーマから、誰も逃げることができません。
既に稼働している原発があり、相当量の高濃度核廃棄物があるという現実。
こうした廃棄物が生物に無害な状態になるまで途方もない年月がかかるという現実。
どんな議論も、私たちの未来、子供たちの未来、遠い子孫たちの未来に、
何をもたらすことになるのか、忘れずにいたいと思います。
「主義」を明確にする
そういう意味で、原発は、武田さんの示唆するとおり、
「思想のリトマス試験紙」になるのでしょう。
専門家や知識人でない普通の人は、むつかしいことはわからないから
判断できない、と思うかもしれません。
でも、ほとんどの論者がわからないだらけの中で論じているのだと思います。
それでも私たち一人一人は、
原発をどうすべきかについて、立ち位置を明確にしていく必要があると思います。
なぜならこの問題こそ、
民意=世論をしっかり形成して政治家を動かす必要があるからです。
リグミからの提案
原発推進か原発反対かの立ち位置を明確にするまえに、
今回のマップにある
「テクノロジー志向(技術解決主義)」⇔「エコロジー志向(自然回帰主義)」
のどちらが自分の志向性や「主義」に近いのか、自己探求してみませんか?
遠回りなようでも、こういう形で自分の中にある「思い」をつむぎだしてみることで、
ぼんやりしていた景色がくっきりとした輪郭で見えてくるかもしれません。
そしてストーリーボード上で、またリグミ・SNSの日記やコミュニティで
意見交換したいと思います。
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今、リグミのストーリーボードの中では、以下のような議論がなされています:
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入口での疑問提起:
「このマップの対極軸は何を意味しているのだろう?」
- 「テクノロジー志向(技術解決主義)」の逆が「エコロジー志向(自然回帰主義)」というのは、違和感がある。例えば、太陽光、風力、地熱など自然を利用した新しい発電技術を使って電力を作って代替していこうというのは「テクノロジー志向」になるのか。
- 「エコロジー志向」は、電気の使用そのものを減らし、なくして、昔のような自然と共存する生活に戻るということだとしたら、自分は今の生活水準を維持したいから、「テクノロジー志向(技術解決主義)」ということになる。
- 太陽光や地熱の環境エネルギーで現在の生活を保持できるように、技術の進歩が進むまでは、原発も併存すべきだ。
いろいろな観点や立場を出し合う:
「原発のメリットを強調する立場」
- 原発がもたらした功績は大きいわけで、いくつもの疲弊した地方都市が生き延びている。
「原発のデメリットを強調する立場」
- 原発の最大の問題は、高レベル放射性廃棄物の処理の問題だ。100年ぐらいの経済的メリットのために、10万年の未来までリスクと管理の負担を残すのはあまりにバランスを欠いていると思う。
「生活水準を維持する立場」
- 安定的な生活水準を守りつつ、計画的にステップを踏んで、脱原発へと向かうべきだ。
- 電気なしでは生きていけない生活をしているので、電気はあればあるほうがいいと思う。
- 日本は資源がないんだから、技術志向で問題解決することが重要だ。
- 心情的にはエコロジー志向だが、現実の選択は明確にテクノロジー志向であることに気づいた。但し、地球環境は有限であるので、今の新自由主義的な思想でグローバル経済が無限に成長しつづけようとするのは、あきらかに無理がある。再生可能エネルギーで持続的な社会をめざすべきなので、反原発―テクノロジー志向の立場を取る。
「エコロジー志向(自然回帰主義)に賛同する立場」
- 計画停電の時に、多少暗かったり、電車の本数がまびかれても、意外と平気だった。電気は無駄に使っているのも多い。電気そのものを減らすという自然回帰の姿勢を持ちたい。
「テクノロジー対エコロジーの中間的な立場」
- 今、ほとんどの原発が停止している状態でも、なんとかなっている状態をみると、原発なしでもなんとかなるのではないかと思う。
「そもそもエコロジー志向が可能なのか、考察する立場」
- コロジー志向を追求すると、反原発なだけでなく、「交換」の経済から「贈与」の経済へと進むのではないか。
- 農耕が始まる以前の狩猟採集社会の方が、「栄養状態や体格が良く、より健康で平均寿命も長く、かつ精神的にも健全で、労働時間はずっと短くて余暇生活はより長く充実していた」というのが人類学の常識といわれる。ただし、狩猟採集経済が日本で成立するためには、人口が3000分の1まで減少する必要があるそうだ。
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人々のために高貴な責務を果たしてこそ、エリートは輝く [福島第一原発事故]
日本のエリートの何が問題なのか
大震災そして原発問題が起きて見えたこと。
それは日本のエリートシステムが機能していない、ということでした。
茂木健一郎さんは、2月25日のツイッターの中で、
を果たす人であるはずなのに、日本では、エリートとは、リスクをとらない人、と
らなくて済む人のことである」
http://togetter.com/li/263240
なぜ日本のエリートシステムが機能していないのでしょうか。
ノブレス・オブリージュとは、「高貴な者は義務を負う」、
「位の高い者は徳も高くなければならない」といった意味ですが、
日本ではこうした感覚が乏しい理由はどこにあるのでしょうか。
それは、日本のエリートが本当の問題に、世界の真実に、
真正面から向き合わないからです。
向き合うべき立場であり、権力も資金もあり、さらには能力もあるのに。
「東大話法」という罠
こうした日本型エリートの特徴を、
東大東洋文化研究所教授の安富歩さんは、
「東大話法」と呼んでいます。
東京新聞2012.02.25朝刊28-29面
原子力ムラでまん延 「東大話法」
「東大話法」の例:
- 規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
- 規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
- 規則3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
参照:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E8%A9%B1%E6%B3%95
「東大話法」の規則1が、日本のエリートの問題を端的に表しています。
「信念」ではなく「立場」に合わせる。ここに最大の問題があります。
立場を優先するとき、本当の問題を見据えて解決しようという信念は曇ります。
優先順位を少しずつ変節させるうちに、真実が覆い隠され、
公のために責任を果たそうとする高貴な動機も薄らぎます。
日本のエリートは、既定のレールに乗ってリスクを取らないという批判は、
昔からありました。こうした批判が今でも変わらず出てくるのは、なんだかんだ
言っても、ローリスク・ハイリターンの日本型エリートモデルが通用しつづけ、こ
のレールに乗りたい、という優秀な人たちが後を絶たないからでしょう。
日本型エリートの在り方は、もう成り立たないのだ、と檄を飛ばしています。
「日本の子どもたちは、あるいはお父さんお母さんたちは、よくよく考えてほしい。
ペーパーテストの点数がよければリスクのない人生を送れるという日本型の
「幸せの方程式」はもはや持続不可能。何が起こるかわからない世の中で、
偶有性の海に飛び込むしかない時代なんだよ。」
そして、安富さんは言います。
「官僚にも学者にも、あるいはメディアにも自分の言葉を持つ人たちが
わずかにいる。そんな一人一人の存在でかろうじて社会がもっている。
もし人間社会がひきょう者の集団になったら、社会秩序は維持できない。」
新しい日本型エリートの可能性~「衆知主義」の時代
ではどうするか。
本来のエリートらしいエリートを排出する有効な方法は
いろいろと考えられると思います。
しかしここでは視点を変えて、エリートのやるべきことを
自分たちがさっさとやってしまったらどうなるか、想像してみたいと思います。
普通の人々が、「自分の言葉」を持ち、責任ある発言をし、身をもって行動する。
エリートができないことを、自分たちでどんどんやってしまう。
もし、普通の人々がそんな風に考え、行動しはじめたら、どうなるでしょうか。
間違いなく、日本型エリートは廃業に追い込まれます。
それが「衆知主義」の時代ではないか、とリグミでは考えています。
衆知、すなわち多くの人々の知恵やアイデアを集めて社会を変えていく時代に
着実に入りつつあります。エリートに任せきりにできない、という気運が震災後
大きくなっています。
しかし衆知主義は、エリートを否定すべきではありません。
むしろエリートは重用するものです。なぜなら、社会はエリートの能力、専門性、
判断と実行を必要としているからです。衆知主義の時代の大きな「違い」は、
エリートと一般の人が「対等」だということです。
為政者やエリートに盲目的に追従するのでなく、リーダーに説明責任を求め、
協働で社会的なテーマに取り組む新しいフォロワー像。
私たちは、そういう自分たちの在り方、姿勢を、少しずつ実践していきたいと思います。
エリートを批判するのは簡単です。しかし、本当の問題に、世界の真実に、
真正面から向き合うのは、エリートだけの義務ではありません。
批判し糾弾するエネルギーの一部を、前向きで建設的な方向に振り向け、
エリートに人々のために高貴な義務を果たしもらうように積極的に促し、励まし、協働する。
そんな衆知主義の実践ができれば、何かが変わります。
エリートに輝いてもらう社会を創ることこそ、大地震、大津波、そして原発事故の時代を
生きる私たちの知恵なのではないでしょうか。
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